データサイエンス

現場で陥ってはいけない思考を先人の言葉から学ぶ【ビジネスデータ分析で結果を出すために必要なこと】

データサイエンス

ビジネスで使うためのデータ分析手法、データサイエンスを学ぶとき、大事なことは「それを学ぶ目的は”施策=実行につなげるため”なのか?」です。これはデータサイエンスだけに言えることではありませんが、先人の言葉からも分かる=昔から今まで、そして今後もずっとそうであることが分かります。

先人の言葉にある『知識に関する本質』

ビジネスデータ分析もしくはデータサイエンスをビジネスやマーケティングで活用することは、まさしく分かりやすい「実学」だと思います。福沢諭吉『学問のすゝめ』で書かれている「実学」は、

 

学問とは、ただむずかしき字を知り、解(げ)し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦(よろこ)ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴(とうと)むべきものにあらず。(中略) されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。

引用:福沢諭吉『学問のすゝめ』

※参考図書

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感想(1件)

これは、

「いくら難しい知識を学んでも、現実に役立たせないとダメ」

ということを言ってます。

さらに、こういった言葉もあります。

 

小人の学は耳より入りて口より出ず(荀子)

 

これは「小人(精進):徳のない品性の卑しい人」の意味で、先ほどの言葉は「愚か者は、学んだことは耳から入って口から出るだけ」→「知識を得て、手を動かさない=実行しない」ということを言っており、

 

『知行合一:学んだことと行動はともにあるべき。(行動を伴わない知識は無益だよ)』

 

という熟語と同じような主張になります。

 

好ましくない考え方(やってはいけない思考・スタンス)

昔、番組のインタビューでこのような場面があったそうです。

「ハッカーは本当は現在の技術の限界を押し広げる人たちです 金もうけよりも それ自体がゲームと同様楽しみなのです」

引用:NHK教育(1988年1月10日放送) コンピューターの時代 第1回「それは夢から始まった」

この1場面からこの回答者が何者かは分かりません。(実際はものすごい実業家プログラマーかも)
が、ここではあえてこの発言だけを切り取ってみると、実学とまさに真逆の思考の典型例になっていることが分かります。

特にビジネス現場のデータサイエンティストが絶対に陥ってはいけないスタンスとは、まさにこの思考に支配された状態です。その魅力に取り憑かれてしまうと、もはや「人間普通日用」とは真逆の道を突き進むことになってしまいますよね。

 

どの段階に「知行合一」に到達するポイントがあるのか?

ビジネスに使えそうなデータ分析に関する知識をリストアップしてみると、

統計学:多変量解析(回帰分析、因子分析、判別分析、…)
機械学習:ディープラーニング(RNN、LSTM)、SVM、ランダムフォレスト、…
マーケティング理論:STP分析、RFM分析、…
行動経済学:プロスペクト理論、ナッジ理論、…

本当に色々なアルゴリズムや理論があって、そのひとつひとつは興味深いものです。それは、小学校や中学校で習った内容よりも、より身近であるからに他なりません。

そして、ビジネスデータ分析、ビジネスでデータを活用するとなると、まずは様々な知識を組み合わせて解析し、本質に迫ろうとします。大事なのは、ここで終わっては『小人の学は耳より入りて口より出ず』をまだ超えられていない、ということです。

 

データ分析を行う立場であれば、これは解析者と実行者が一致していないことになるので、自ら行動に移すことはできません。なので、思いついた仮説レベルで良いので「解析した結果、どういう行動が有効と考えられるか」を必ず提示することまでが、ビジネスデータ分析の役目だと思います。予算や人的リソースの問題で必ずしも実行できない場合もあるため、できるだけたくさんの案を提示するのが望ましいです。

そのためにも、事前にクライアント自体を良く理解することも重要になってきます。(このあたりが、筆者がKagglerでない理由かもしれません)
自社のために自分自身が分析者になり実行できるのであれば、本当はそれがベストだと思います。

知識を習得しアップデートしていくことはもちろん重要ですが、根本的にそれが誰のベネフィットにつながる学びなのか、は無意識レベルで自分の中に刻み込むべきです。

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