スーパーやショッピングモールで、奥さんの買い物を一人で待つお父さんを見かけると「もったいないなぁ」と思います。もちろん体がしんどいとか、体力的その他諸々の事情があるかとは思いますが、自分自身は近所のスーパーの買物にもカートを押して、あれやこれやと見て回るのが好きなんです。
近所のスーパーの何を見ているのかと言うと、見ているモノ自体は刺し身だったりお肉だったり、普通に並べられている商品ではありますが、
①どんな商品が、どれくらいの値段で売られているのか
次に、
②どんな家族が、どんな商品を見ているのか
そしてできるだけ最近見たCMや前回来店したときのことを思い出しながら、
③どんな新商品が出ているのか・自分が知らないどんな商品があるのか
です。週に1回は訪れる近所のスーパーはこんな感じですが、ショッピングモールに出向いたときもだいたい同じです。
ビジネス現場でのデータ分析、特に何か戦略の策定に役立ちそうな探索的データマイニングを行い仮説を構築しようとするとき、できるだけ「今まで想像できなかった観点・視点」にたどり着くことが目的になります。この「今まで想像できなかった」というのは、今見えていてはいけないですよね。これはよくあることですが、なんとかデータ処理も終え、分析も終え、妥当な分析結果を導くことができたとしても、現実的な面から見るとその結果は「確かに、当然のこと」「明らかなことが証明されたに過ぎない」という結末になることがあります。ほとんどの場合は、このような場合は分析手法に問題はなく、用意したデータが不十分だった、ということが多いんです。
では、どうすれば「今まで想像できなかった観点・視点」に到達できるのか。「用意したデータが不十分なら、とにかくたくさんのデータを集めれば良い」ということになりますが、これは作業負担も含めたコストにも関わることなので、そう単純な回答になりません。
そこで、「とにかくたくさんのデータを集める」ではなく、「ある程度関係のありそうな範囲にあたりをつけて、データを集める」ことが、どうやら落とし所としては現実的です。
では、その「関係ありそうな範囲」とは、どこなのでしょうか?これぞ、まさにカンに頼るところです。
ここでは場面を初動の段階と想定しているため、「なるべく最短距離になる確率が高そうなスタート地点を考えている」という作業を行っています。なので、まず「カン」頼ってみるのも、テクニックのひとつなんです。
実は冒頭の①~③は、この「カン」を鍛える要素になっています。広く浅くで良いので、とにかく身の回りの「価値・値段」の情報に、自分からアプローチすることが「カン」を養うための糧になります。
よく、「画期的な販売方法」「前代未聞の価格戦略」といった、いわば「ぶっ飛んだ戦略」みたいなのが出てきますが、これはあくまで「今まで誰もやっていなかった、誰も想像できなかったこと」ですよね。何か思いついたとき、「既に誰かやっていたらダメ」ということです。ということは、「今まで、または今のところ、既にあるのかどうか」をたくさん知っていることが、「今まで誰もやっていなかった、誰も想像できなかったこと」にありつける確率を高めることになるんです。
そして、探索的なデータ分析では最初から何が使えそうなデータなのか、見当もつかない状態から始める(これが理想でもある)ことになりますが、その際、できるだけ想像力を駆使することが求められます。
さらに、まさにこれが今回一番言いたかったことですが、この想像力は、知識量に比例すると思います。スーパーで「へぇ、同じ外国産のお肉でもオーストラリア産だとこんなに安くなるのか」と思った記憶から、今までひとくくりに「それ以外」としていたグループについても、もう1段階グループ分けをやってみた方が良いかも、と思いつくこともあります。(この辺の具体例は、いつか他の記事で色々と紹介したいです)
情報というのは様々な収集方法がありますが、体験の一部として取り入れると、またデータから得られるものとは異なった形で頭の中に蓄積される気がしています。彼氏、彼女、妻、夫、それぞれパートナーとの買い物に行くたびに全部の商品をくまなくチェックすることはさすがにキビシイですが、まず自分の興味のあるものはともかくとして、「衣食住」関係については、生の情報に触れることをオススメしたいです。
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