データ分析に限らずとも、先入観(バイアス)にとらわれて判断を誤ることは極力避けなければなりませんが、これがまた難しい。
現実を現実としてありのまま受け入れると自分の感情や先入観をかなり薄めることができますが、これにはベイジアンの視点がいつも役立っていると思います。
「ベイジアンな視点」の「ビジネス的な観点」
先日、朝の情報番組の一幕でコメンテーターが「(銀座の)クラブとか、何が楽しいのか分からない」といったことを言ってました。まぁ個人の好みもあるんでその発言の良し悪しは置いといて、確かに「なんでこういった商売が無くならないんだろうなぁ」と思うこと、ありますよね。
この手の話題のとき、いつもベイズ確率とビジネスの相性の良さを感じます。
ベイズ確率は、事前確率にベイズ更新という操作をを経て事後確率という確率に更新されますが、ここでいう確率は「そもそも・本来の確率」のことで、確率自体が変化しているわけではない…学校で習う頻度主義の確率ではちょっとスムーズに理解できない確率の考え方をします。
ベイズ確率がどのようなものか、というのはまた別の機会にするとして、これをものすごく極端な考察に使うと「世の中の現実」は次のように見えます。
当たり前のことを言ってますね。ベイジアンの視点だと、こうなります。
明日、太陽が昇らない確率が0.000001%とすれば、ほぼ明日も太陽が昇るし、今までもそうだったから、今日もこうして日光を浴びている、ということを言ってます。本当に当たり前のことですね。
そしてビジネス的な視点を組み込むと、こうです。
時代とともにニーズも移り変わりますが、潜在的なニーズが少ない商売はそもそもの存続確率が低い、と考えられます。逆にライフライン、衣食住といった「未来永劫、絶対に無くなりそうもないニーズ」に関する産業は、ニーズが途切れる可能性はほぼゼロでしょう。
最終的に、こうなります。
こういった『ベイジアン+ビジネスの視点』だと、自分の趣向や意思とは別に、その商売が存続している理由、その産業を支えるもの(ニーズ)の輪郭が見えてきます。
見える、というより「先入観で見過ごしていたニーズや存在意義の存在に意識が向く」といった方がニュアンス的には近いです。
感情は、単に個人の立場を決めるだけ
昔は「キャバクラが、なんであるのか分からない」と思っていました。先ほどの『ベイジアン+ビジネスの視点』だと、やはりニーズがあるから存在しているわけで、そう意識すると「三次会あたりで使うと取引先のキーマンと有効な関係性が築ける」だとか、何かと視点が広がる実感はあります。
ここで、題材はクラブでもキャバクラでも殴られ屋でも何でも良いですが、その商売や産業にネガティブな印象を持っているとします。すると、このネガティブな立場からすればその商売は「必要悪」というふうに見えるでしょうし、逆にポジティブな印象を持っていれば「文化」といった位置づけにもなり得るでしょう。
ビジネスデータ分析の対象としたとき、もはや「文化か、必要悪か」といった議論は、分析に目的に全く関係のない議論であることが分かります。「別にどういった感情を持っていても、支障はない」ということです。
実際のところ、存在自体の良し悪しを決める要素はただひとつ『法律(違法化かどうか)』しかありません。とてもシンプルです。
『ベイジアン+ビジネス視点』のメリット
『ベイジアン+ビジネスの視点』で考えることで、個人に降りかかる先入観(バイアス)を取り払うことができ、さらに見過ごしがちな部分までしっかりと目配りすることができるので、重宝しています。逆に、いかに先入観・バイアスが強力なのか、ということにも気付かされることも多いです。
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